Cogito ergo sum #1
- Mojo Yamauchi
- 2014年3月4日
- 読了時間: 1分
歌詞とメロディの相関にはトレンドがある。
一時は一つのメロディ・センテンスにやたらと長い言葉を、なかば強引に詰め込むような歌詞が流行ったりしたこともあったが、最近はそういう極端なものはあまり聴かなくなった。
でもそんな時期が契機となったのか、日本語詞に言葉のアクセントやブレス(息継ぎ)を無視したメロディを付けてもOK的風潮が定着してしまったような気がする。
これを、タブーが無くなったとみるか、乱れているとみるか、だが、そういう歌に違和感を覚える自分は後者なのだろう。
タブーを破るというチャレンジによって文化が発展するという側面もあるが、それは正統なものを踏まえた上の行為でなければただの破壊者となる。
それでなくとも日本語というのは同音異義語が多い言葉だ。
アクセントを無視したメロディや、センテンスを無視したブレスでの歌い方では、伝わる言葉の意味さえ変わってくる。
この言葉にこのメロディの起伏はおかしくないか?
この歌詞のこの部分で息継ぎして歌ったらおかしいよな?
もし、あなたが曲を作る人ならば、オリジナルの曲を書くとき、こういうことをキチンと推敲しているかどうかで、曲の評価は変わってくるんだということを、肝に銘じて欲しい。