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【GROOVE】について。

 

何やらGROOVEと言うとFUNKや黒人音楽独特の概念のように思われている節もあるのだけれど、私は必ずしもそうは思わないのだ。

ギターポップやパンクロックのバンドにもGROOVEを感じる時もあれば、場合によっては弾き語りの人の音楽にもGROOVEを感じる時さえある。

早い話が「気持ち良いリズムの共有」がGROOVEなんじゃなかろうか。

そして実はこの「気持ち良い」という部分が相当キモなんじゃないか、と。

 

グルーヴとは、足並みを揃えて歩くことだ」

T.O.P.のロッコ・プレスティアはBass Dayセミナーでそう言っていた。

よくわかる例えではあるんだけれど、でもなんかモヤモヤする。

確かに・・・バンドとして正確にリズムを守った演奏をしていれば、それはそれでGROOVEに繋がる演奏とも言えなくは無いのだけれど、気持ち良いと思えるかどうかはまた別なニュアンスを多分に含んでいる。

リズムマシンやシーケンサーの刻む機械的に正確なビートだって、気持ち良いのもあればつまらないのだってあるではないか。

この気持ち良さというのは、では至極主観的なものなのだろうか?

もちろん何をどう気持ち良く感じるかというのは個人の主観によって変わってくるものではあろう。

しかし、そんな主観的なイメージの中にも最大公約数的に共有出来る、いや共有しなければ得られない気持ち良さというのがあると思うのだ。

そこがまずGROOVEにつながっていくんじゃないか。

 

行進やマスゲーム、群舞の類は「足並みを揃える」ことが大前提であり、参加する全員の心と体が、秩序をもって揃っていなければ成功しない。

二人三脚・・・20人21脚なんかはいい例だろう。

全体組織の中にあって、参加者一人一人が機能しているという認識、それでいて達成した時に得られるカタルシスは忘我の境地に違いない。

 

全体が個を飲み込んでいくのではなく、個が融合していって大きな全体となる感覚

 

この時初めて、秩序はGROOVEに昇華するのだろう。

 

あらゆる秩序というものは、ある法則によって保たれる。

それは法律やルール、掟といわれるものだ。

何をやってもOK、無秩序上等という社会には暮らせないだろう。

殺人もレイプも略奪も自由、そんな社会では自由であることは評価にならない。

それでは自由であることが、面白いことにも個性にもなりえない。

決まった秩序という枠の中での自由を突き詰めるからこそ、世の中面白いものになる。

言い方を変えると、決められた枠の中での不自由を面白いものに変えていく知恵、それこそがクリエイティヴィティというものではなかろうか。

 

個性の「個」というものは、「全体」があって初めてその対比で成り立つもの。

例えば団体スポーツ競技、野球やサッカー然り。

それぞれにルールがあり、ポジションがありフォーメーションがある。

プレイヤーには各持ち場があり、それぞれの役割は違う。

しかしやっているのは全員共通して野球でありサッカーなのだ。

 

個の煌きは大事だが、個と個の連携が上手くいかなければ全体は機能しない

 

つまりは音楽然り。

その認識なくしてGROOVEは得られないだろう。

野球でもサッカーでも、いいプレイには観客も盛り上がる。

これまた音楽然りだ。

いいプレイというのは観客も巻き込み飲み込んでいくもの。

例えばギター一本弾き語り。

当然テンポ感やリズムを感じさせるのはその人一人だけ。

それでも聴いている人が足でテンポ取ったり、リズムに体を揺らしたり、そういう演奏が出来る人だって、少ないが、間違いなく、いる。

それこそがGROOVEではないか。

 

GROOVEとはテンポの正確さだけの問題ではないのだ。

 

小さな群れが村となり、国家となっていったように、人間というのは元来、集団帰属性の強い生き物である。

法律という秩序を逸脱するような行為をするアウトローな連中でさえ、暴力団や暴走族といった集団を作ることからもあきらかだ。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という例えもあるように、人間には集団心理、群集心理というものがあり、集団で同じ行動をとるということは、人間にある種の高揚感と一体感をもたらす効果がある。

バンドを組むためにメンバーを集めるのが、まずその取っ掛かりだとすれば、ライブの時にお客さんをなるべくたくさん呼び集めるというのも、技術論としては、GROOVEを醸し出すための重要な手段の一つであると言えるだろう。

 

その為には、まず「僕」が、「あなた」が、魅力的な人物でなくてはならない

 

人間に高揚感をもたらすための技術論で言えば、重要な要素として「繰り返し」がある。

リズムの繰り返し、リフの繰り返し、世界各地の民族音楽は言うに及ばず、日本の祭囃子だってそうだし、クラシックの世界でもラヴェルの「ボレロ」のリズムや、ベートーベンの「運命」のメロディーの符割等、その技法は用いられている。

「繰り返し」には、恐らく脳内麻薬を分泌させる効果があるのだろう。

学生時代、バンドの練習で同じ曲を何度も何度もノンストップで繰り返し繰り返し演奏し続けたことがあったが、その時もいわゆるランニング・ハイならぬ「プレイング・ハイ」になったことを今でも鮮明に記憶している。

古来より音楽は神事や宗教儀式に欠かせないものであったことを考えてみても、人に高揚感をあたえる音楽の役割というものがここでも見えてくる。

 

「集団帰属性」と「繰り返しが気持ちいい」という人間の性質

 

によってもたらされた音楽に、技術論としてのGROOVEのヒントの鍵が隠されているのではなかろうか。

 

しかし、人間は飽きやすい。

いかに脳内麻薬が分泌されたところで、気持ちよさの持続時間は案外短い。

これは多分、人間が正気を保って生きていくために必要なブレーキなのだろうが、歯止めが利かなくなった人は、逝っちゃえる持続時間が長いアルコールや薬物といったものに依存し中毒になるのだな。

時間軸上を進む音楽というアートは、「繰り返し」の魔力等による脳内麻薬によって演奏者を麻痺させ、オーディエンス(あるいは同じステージに立つクールな他の演奏者)を飽きさせるという危険も孕んでいる。

そうでなくとも、人間が集中力を持続できる時間にもそもそも限度がある。

こうなるとGROOVEを維持している状況とは言えなくなってくる。

仮に一定の快感レベルを保てたとしても、それは必ず麻痺に変わる。

仕掛けや駆け引き、じらしなどの刺激の強弱やメリハリ、能用語でいう「序破急」があって、快感は初めて「更新」されていくものであろう。

恋愛も同じ、か。

演奏者は(好きなことをやっているだけに)ややもすれば自分の演奏に躍起になる。

ジャム・セッションでも周りを見失うほどに一人だけ気持ちよくなり過ぎている人もいる。

 

もう一度言う。

 

音楽というアートは時間軸上を進んでいるのだ。

 

第1バイオリンと第2バイオリンでは同じ楽器でも役どころが違う。

楽曲によっては一発しか鳴らさないシンバルの為にスタンバイする打楽器奏者だっている。

時間軸上を進んでいる限り、無音も音なのだ。

 

必要な時にその音楽に必要なぶんだけ音を出すからGROOVEは生まれ、維持出来る。

 

「音を出さない勇気」ということを事ある毎に私が言うのは、この観念に由来する。

 

スケールやモードに頼った演奏も別に悪くはない。

知識として自分の引き出しの中に無いよりはあったほうがいいだろう。

しかし、それが出来るかどうかよりも、それでGROOVEするかの方が大事じゃないか。

楽器がある程度上手く出来るようになると、人間というのは出来る音を出したくなるものだ。

最初はそれでもいいだろう。

トレーニング・レベルであるなら、そうやってその楽器の楽しさを知っていく過程も必要だ。

しかしそれは、楽器を演奏している(楽器に演奏させられている)だけであって、必ずしも音楽を演奏しているわけでないということを胆に銘じてほしい。

楽器を演奏しているだけの人は、大概音が無駄に多いしGROOVEしない。

音楽を演奏しようとする人は、自分の楽器の出す音に責任感があるし、そういう人の演奏はGROOVEする。

 

ここまで色々分析してきた事柄、

 

●「足並みを揃える」ということ

●人間が本来持っている性質

●個の魅力と全体との連携

●音楽によって導き出されるべき演奏上の音の取捨選択

 

これら全てがGROOVEを生み出す鍵なのではないか?

と、うっすらわかりかけてきた時、私の中でストンと腑に落ちた言葉があった。

 

“It Don’t Mean A Thing If It Ain‘t Got That Swing”

 

そう、Sir デューク・エリントンの「スイングしなけりゃ意味ないね」である。

 

この際、Jazzの世界で言う「スイングの定義」などは横に置いておく。

スイング自体がGROOVEである。GROOVEしなければ意味がないのであり、スイングしなければGROOVEもないのだ。

スイングしない、GROOVEしないプレイには意味がなく、意味のないプレイではGROOVEもスイングもしないのだ。

演奏が上手くても独りよがりのプレイではGROOVEが生まれないから意味がない。

GROOVEしないなら上手い演奏力には価値がない。

スイングするから意味がある。

GROOVEするから意味を持つ。

 

そう、

GROOVEとは特定のリズム・シーケンスを意味するものではなく、相対的・総合的な関係性・関連性を示す言葉なのだ。

 

だからGROOVEのある演奏を聴くと、気持ちよいリズムの共有が生まれ、自然と心地よく体を揺らすことが出来るわけだ。

「共演ミュージシャンを選別するときの基準は何か?」と問われたとき、「心地よいと感じるリズム感を共有しているかどうか見る」と答える。

 

私は人を見るとき、それこそ「GROOVE」を観察していたのだ

 

その取っ掛かりはまずお互いのリズム感がしっくりくるかどうか。

これ即ち「足並みを揃えて歩く」ことが出来るかどうかである。

 

It Don’t Mean A Thing If It Ain‘t Got That GROOVE

 

「僕」が、「あなた」が、いいVibesを持っていれば、「僕」と「あなた」はきっとGROOVEする。

その時「僕」と「あなた」はシンクロする

 

May The GROOVE Be With You.

Everything Is Gonna Be All Right !

「僕」が、「あなた」が、いいVibesを持っていれば、

「僕」と「あなた」はきっとGROOVEする。

その時「僕」と「あなた」はシンクロする。

May The GROOVE Be With You.

Everything Is Gonna Be All Right !

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