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ギター弾きの憂鬱、または憂鬱なギター弾き

  • 執筆者の写真: Mojo Yamauchi
    Mojo Yamauchi
  • 2014年3月4日
  • 読了時間: 5分

「アクターズ・スタジオ」というTV番組をご存知の方も多いと思う。

演劇学校にて著名な俳優をゲストとして呼び、その人の演技に対する取り組み方などをインタビューしていく番組である。

マイケル・ダグラスがゲストの回であった。

学生から、「共演者との演技の在り方についてどう取り組んでいますか?」という質問が飛び、それに対しての彼の答えが実に印象深かった。

「いい質問だ。若手俳優にありがちなのだが、いや誰とは言わないが(w

自分がアップになっているとわかるシーンは頑張るが、フレームから見切れるのがわかっている場合は手を抜くというタイプの役者をたまに見かける。

しかし、それでは共演者に気持ちよく演技をしてもらうことが出来ない。

自分と絡んでいる限り自分が映っていようがいまいが、相手から最高の演技を引き出そうと思ったら、自分も手を抜けるわけがない。

私が考えるのは、自分の演技をよく見せたいということではなく、この映画を作品として最高のものにしたいということだ。」

やはり秀でたものを持っている人物の言葉というのは、心に響く。

共演者との演技の在り方→演奏の在り方と置き換えればどうだろう。

音楽において、恐らく最も人口が多い「役者」はギターリストだろう。

特にロックの世界では、60年代~70年代、そして80年代中頃までは、ギターは花形楽器であり、ギターリストはスターであった。

しかし打ち込みやサンプリングなど、音楽のスタイルが多様化していくにつれて、ギターに求められる演奏の在り方も変化していく。

ギターヒーローを擁するタイプの音楽も生き残ってはいるが、ギターリストの仕事の需要としては、饒舌なギターソロではなく、効果的なリズム・バッキングやリフ、アレンジの空間を生かすような音を求められている場合の方が圧倒的に多いはずである。

ギターの特性を考えてみればよくわかることであるが、実に中途半端な楽器であることは間違いない。

出せる音域のレンジは思いっきりボーカルとかぶる。

和音を出しても最大6音、ピアノで出来る複雑なボイシングも無理なら、ピアノほど幅広い音域も無い。

単音でソロも取れるし音もベンド出来るが、そのフィールドでは、サックスの音色の豊かさには敵わない。

しかしギターはその中途半端さ故に生き延びてきた楽器であるとも言える。

和音も弾ける、単音でソロも取れる、気軽に手に取れる、弾きながら歌が歌える・・・

減衰音だからこそ弾けるメロディーというのもあるだろうし、パーカッシブなリズムプレイだって出来る。

だからこそギターリスト人口が世界中で増えていったのだろうし、だからこそギターリストは自分が弾いている楽器がその特性上、いかに中途半端な楽器であるかをもっと自覚すべきであり、その上でどう弾くかに思いをめぐらすべきである。

その辺りのセンスが顕著に表れるのが他ならないバッキング・プレイである。

だが、今ギターリストの仕事としてもっとも求められている部分が、非常におざなりになっている人がとても多い。

×【ギターソロは頑張るけどバッキングは適当】

これは一番よく見かけるパターンですな。

自分のソロの出番は気を入れて弾いているのに、ソロが終わってバッキングにまわった途端、ただ漫然とコード刻んでる人・・・他の楽器パートの人がどう動こうが流れがどうだろうが、意図や意思を感じないバッキングをする人は・・・× いや誰とは言わないが(w

×【音の居場所としての居心地の悪さに気づけない】

自分以外にギターがもう一人いる、もしくはキーボードがいる、そういう場合に全員同じ帯域で同じ譜割りでリズムを刻む・・・アレンジ上、ユニゾンでその部分を強調するという時以外、ほとんど意味無いっすよね。

自分ひとりの問題ではなく、譲る譲らない、感じる感じないという他のプレイヤーとの互いの問題でもあるのだけれど、相手がどういうポジションでどういうプレイをしてるかを聞けていれば、相手がやってることと同じことをする愚は犯さないはずでしょう。

相手がミドルポジションで細かくリズムカッティングしてたら、自分はローポジションかハイポジションで白玉で鳴らすとか、相手がコードボイシングをゆったり聴かせるプレイをしていたら、自分は単音バッキングするとか、それぞれがそれぞれの居場所を意識していない人は・・・×。

ギター2本で同じコードボイシングで同じリズムパターンで弾いて、平気でいられる人なんてのはもってのほか。

×【弾かない勇気が無い】

これが一番重要にして難しいことではあるのだけれど。

ギターはソロもバッキングも出来るが故に、とにかく弾いてしまいがちだし、弾くことが演奏に参加していることだと思ってしまいがちなのだが、演奏の流れによっては、弾かない事こそ有効だったりする。

楽器は音が出るからこそ楽器であるわけだが、逆説的にいえば音を出さないというのも演奏の内であり、無音も音であるという意識を持つことはとても大切なことだと思う。

自分はここ弾かなくてもいいんじゃねぇか?ここはギターの音が無い方が格好良いんじゃねぇか?という判断が出来るかどうかが大事。

いまここで音を出すかどうか・・・それを決めるのは本来自分ではなく、究極的にその答えを導き出すのは音楽そのものであるはず。

重要なのは、自分の演奏をよく見せたいということではなく、その音楽を最高のものにしたいということ・・・でしょ?


 
 
 

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